NPO法人 SUPLIFE インタビュー 寄付者限定公開 〜SUPLIFEのマインド〜

インタビュアー:人見尚汰
インタビュイー:美保さん(理事長)、内山映美さん(スタッフ)

〜「偏見」から気付けること〜

○娘さんがダウン症の宣告を受け、美保さんご自身も大変思い悩まれたとのことですが、ご自身も当初は障がいに対してネガティブなイメージをお持ちだったんでしょうか?

美保正直ネガティブなイメージなんてないと思ってたんですよ、元々。障がいに対して偏見もないし、どんな子が生まれても育てる! と思っていました。

長女の出産前、医師から出生前診断の意義について「命をこの世に生み出すことの大変さや、命の重さを感じていない人が多すぎる。誰もが母子共に健康で、幸せな出産を迎えられるとは限らない。最後まで何があるかわからないのが出産であり、普通に産むことは奇跡なんだ」と説明されましたが、ピンとこなかったし、私に命を選別することなど出来ないと思ったので、受けませんでした。それに「絶対に私は大丈夫だ」となぜか根拠のない自信もありましたね。今思えば、絶対なんてこの世にはないのに。

でも、実際当事者になった時「よし、頑張って育てよう!」とはなかなか思えませんでしたね。その時になって初めてネガティブなイメージを持っていたことに気づきました。でもそれはのちに障がいに対してではなく、社会の壁、その障がいへ絶望していたと気づくんですが、当時はそんな感じでした。

——漠然とした不安が大きかったんでしょうか?

美保:それが一番大きかったかもしれないですね。理由のない不安、そして孤独
病院にもよるんですが、私が受けたダウン症の告知後はかなり孤独でした。告知されて終わり。仲良くしてくれていた看護士さんも、腫れ物に触るように誰からも声をかけてもらえず。

告知された後血圧が上がったため、ナースステーション前の真っ暗な部屋にずっと一人で居させられ、余計に孤独が増しましたね。

「リエゾンナース」というメンタルケア専門の看護師さんに来て頂いたんですが、話す事もなく、人前で涙を流すことも出来ませんでした。

誰に話せるわけでもなく、ずっとこんな風に生きていくのかなって、最初の頃は漠然と不安を抱いていました。

——そこから気持ちが変わっていったのはブログの存在が大きかったんでしょうか?

美保:大きかったです。特に「オカンとソタコタ」というブログがとても印象深くて。ダウン症の子は健常のお子さんと比べて筋力も弱いので、成長するのに2倍の時間がかかると言われています。笑ったりするのも、首が坐るのも、何もかも遅い。そういったのんびりした成長を楽しむ姿がそのブログでは綴られていて、読んでいるうちに「焦らなくていいんだな」って気づいて安心しました。

でも実は一番影響が大きかったのは、ゲイの友人の言葉ですね。
シンガー時代、LGBTの子がたくさん応援してくれていまして、友人もLGBTの子が多かったんですね。だから次女が生まれた時も「障がいを持つ子を育てることになった」「でもすごくネガティブになってしまった自分に対してどうしたらいいか分からない」って彼らに連絡したんです。するとみんな「アンタはマイノリティにクヨクヨするような人じゃないでしょ!」って何度も励ましの連絡をくれて。

中でも「偏見はなくならなくてもいい。その人が偏見をしてしまった時、胸の奥が少しでもチクっと痛んだら、それはあなたの優しさだと気づいてくれればいいよね」という言葉には、かなり助けられましたね。

〜分離するべきか、共生するべきか〜

○子育ての中で感じる、制度の壁や逆風などはありますか?

美保:一番最初の大きな壁は幼稚園、保育園ですね。地域にもよりますが、受け入れてもらえないことが本当に多くて、まずそこでつまずきます。次に小学校。希望した学校に行けないことも多いみたいです。

——公立の学校もですか?

美保:そうですね。就学を目指す場合、1年くらいかけて行政との就学相談や、学校側との相談や交渉をします。実際私も娘の就学相談を受けてみたんですが、「相談」とは程遠いものでした。「普通の学校へ行ったら、苦労するのはお子さんですよ?」という言葉の中に「他所へ行ってください」「希望は通せません」というバリアをヒシヒシと感じて。

かと言って支援学校だと家から遠いこともあるので、やっぱり地域で育てられたらと思っている親御さんもいらっしゃいますが、なかなかその思いが叶えられないのが現状で。

——社会が対応に追いついてないんでしょうね。

美保:それもわかるからこそ、こっちも押し通せないんですよね。でも、地域で知ってもらわないと意味がないとも思っていて。

一つの例で、家の鍵を開けて脱走しちゃう子がいるんですけど、地域の皆さんに知っていただいていれば、たとえいなくなっても「〇〇ちゃんいたよ!」って協力してもらえるみたいなんですよね。

そしてこれも地域によりますが、孤独に子育てされてる方が多かったり、外と交流するのが難しい環境の方も多くいます。子育て世代が孤独になりがちなのは、障がいのあるなし関係なく非常に多く、この孤独を地域の人みんなで埋めていくことは大切なことですね。

——子供の頃、僕の近所にもダウン症の女の子がいたんですが、その子も僕らと同じように公立の小学校に通っていました。なんなら養護教室もあったので、車椅子の子や自閉症の子と接する機会もありました。そういう環境にいたからですかね、教育が平等に受けられないという現状を知ってちょっと驚いています。

美保:私もそうです。子どもの頃一緒に学校生活を送っていました。多分昔はそれが当たり前だったんでしょうね。でも少し前から「分離した方が子どもが幸せだよ」と考えるようになったんだと思います。

——逆に言えばそれぞれの立場を考えたり、配慮するようになったからこそ分離したんでしょうか?

美保:そうだと思います。でもそれって「障がい=違い」について知る機会をなくしてしまうことですからね。勉学の場としてはそれでいいのかもしれませんが、理解を深めたり、大きくなってからの接し方を考えると残念だなって思うんです。

内山:私が思うに、分離することが本来の目的ではなかったと思うんですよ。そもそもごちゃ混ぜが良くてごちゃ混ぜにしていたというより、そうするしかなかっただけであって。でもそれだと障がいのある子が授業に着いていけない、ということが起こりうるんですね。国もいかにしたら教育を平等に行き渡らせ、一人一人にあった教育を与えられるかを考え、その結果、分離した方がいいという風潮になったんだと思います。
それも今になって「一緒に生きる」という意味で分断を起こしていることに気付いて、改めて問題視し始めていて。試行錯誤してる段階なんだろうなと思います。

美保勉強面の工夫については必要性を感じていますね。知的障害がある場合、みんなと同じ勉強は学年が上がるほど同じでは出来ません。普通級へ通っていたダウン症の子たちは、みんなと違う課題をしながら共に過ごしていたと聞いています。時々立ち止まりながら、試行錯誤して前に進んでいけるといいですね。

内山:1クラスに40人くらい生徒がいた時代と比べて、今はそこまで多くないじゃないですか。だからこそ一人一人を見ていこうという雰囲気も強くなっていると思いますね。

美保:少しずつ変わっていけるといいよね。

 

〜「一緒に育てていこう」〜

○障がいを持つ方への理解が進んでいないと言われる事もありますが、美保さんご自身当事者として嫌な思いや差別を感じる瞬間はありますか?

美保:普通に生活する分には差別を感じたり、不便なことはないですね。最初に思っていた以上に、偏見よりもむしろ可愛がっていただける事の方が多くて。

でも、とあるSNSでの誹謗中傷は激しくて。
主に小学生、中学生を対象としているサイトなんですが、「障がい者キモい」とか、「ダウン症の人っておなじ顔」とか。

面と向かっては言わないけど、SNSでは通りすがりに平気でこんな言葉を投げかけてしまう。
まだ若い世代なので、障がいがあっても同じ人、心、命だよ、ということや、違いを楽しめるような、そんな発信をしていけたらと思っています。

——では、SUPLIFEの活動を通して感じる瞬間はありますか?

美保声を上げていかなきゃいけないなと感じる瞬間はあります。普段私たちが関わっている方々って私たちに賛同してくれたり、前向きで理解のある方が多いんですが、それは同業者だからと言うのもあります。一旦活動している世界を出て、同じ境遇のお母さんたちと接すると、差別的なことを受けたという話はよく耳にします。

私みたいに「特に不便はないな」と受け入れちゃってる人もいれば、周りの子と比べて「なんで出来ないの!?」と苦しんでいる人もいます。

周りに同じ境遇の方がいなかったり、理解者がいない環境だと、ずっと孤独を感じて苦しくなってしまいます。だから、たとえ地域では孤独を感じてしまっても、応援してくれる人や団体、企業がいることをSNSで発信し、「あなたは一人じゃない。一緒に育てていこう」と声を上げて伝え続けていけたらと思っています。

 

〜啓発のない社会を目指して〜

内山:ちょっと違うところで言うと、私はイベント開催の壁を感じることがあります。

例えば、イベントの告知。対象者に「障がいのある子もない子も」って書いても「それって結局、障がいのある子のためのイベントなんでしょ?」って捉える親御さんもいらっしゃって。そういう方々は、自分には関係のないイベントと思って遠ざけてしまうんですよね。

美保:以前インクルーシブ公園の紹介をした時に「障がいがある子もない子も遊べる公園です」とわかりやすく書いたつもりが、「なんでわざわざ障がいって書くの?」と障がいのある子を育てる方から注意されたんですよ。私たちだって本当は「どなたでもOK」って言いたいし、それで伝わるならいいんですが、はっきり書かないと今度は逆に障がいのある側の方たちが来づらくなってしまって、結局みんなわかりにくくなるんですよね。

内山:言ってしまえば「書かなくてもいい」「誰が来てもいいんだよ」って段階まで社会が追いついてない。だからこそ今は啓発の意味でも書いていくべきなんですよ。何年後になるかわかりませんが、みんな「当然だよね?」って思えるところまで持っていきたいですね。

 

〜「想像」から始めてみる〜

○最後に、障がいに対してネガティブなイメージを持ったり、特別視してしまう方へ意見やアドバイスなどがあればお聞かせください。

美保「ちょっと想像してみる」ですかね。相手のことを少しだけ想像してみるだけでいろんな配慮が見えてくる。これは障がいだけに限らずですが。「この人、階段登るの辛そうだな」とか「白杖を持っていらっしゃるということは、目が見えづらいのかな?」とか。そこから「どうやって声をかけたらいいかな?」と、相手のことを想像してみるんです。そうすると「もしかしたら手伝えるかもしれない」と、何かしら新しい想像が生まれると思うんですよね。その時声をかけられなくても、相手のことを考えられたことが第一歩だし、気負いすぎず、小さな事でもいいから自分にもできそうなお手伝いから始めてみたらいいのかなと思います。

——ひとえに障がいと言っても、目に見える身体的なものから、一見したら気付かないような知的なものまで様々ですし、思っているより身近なものなんじゃないかなって思うんですよね。

美保:ゲイの友人が「ゲイは私のパーツ!」と言ってて。「だからダウン症もかのんちゃんのパーツ。かのんちゃんの一部ね!」って言ってくれたことがあり、すごくいい言葉だなと。すべての違いはその人のパーツですね。

そんなふうに楽しめる社会になることを願って、これからも活動していきます!

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